《管理人である安田純己の自己紹介》


「美空ひばり十八番」に訪問していただきましてありがとうございます。管理人の安田純己です。美空ひばりの芸を後世にきちんと継承していきたいとの思いから美空ひばりの伝道師として「二代目美空ひばり淡路守」を襲名いたしました。屋号は「淡路青葉屋」でございます。因みに淡路守と屋号の由来は、管理人の出身が淡路島であり、初代美空ひばりが生前に住んでいたのが東京目黒青葉台(現在は美空ひばり記念館兼ひばりプロダクションが入居)であったのでそれにちなんだものといたしました。これからも美空ひばりの伝道師として懸命に精進し、美空ひばりを大いに生きようと思っております。お気軽に美空ひばりのお兄さんとでも呼んで下さい。そして王道でありながら異端であり続けるという革新を忘れない姿勢を大切にしようと思っております。ホームページの開設に関しましては、美空ひばりのデータを総まとめに網羅したホームページ開設という歴史的大業にして偉業を成し遂げたと自負しております。管理人は美空ひばりが亡くなられてからの生まれなので、美空ひばりの公演を見たことが一度もありません。美空ひばり亡き後は夢舞台でしかありませんが、残された資料を通して美空ひばりの天才性や偉大さを日々痛感しております。随時更新していきますのでブックマークしていただけますと嬉しく思います。

《襲名披露公演『光る君へ』》


①『口上・わたくしの名は二代目美空ひばり淡路守に、ござりまする』

②『誕生ヒストリー・豊饒の海〜はじまりのはじまり〜』

③『屋号の由来・淡路青葉屋に、ござりまする』

 

の豪華三本立てとなっております。どうぞ最後までお楽しみ下さい。

 

 

美空ひばり新時代を懸命に訴え、世界中に美空ひばりの名跡を轟かせていきたいと考えておりまする。それでは、ひとつ美空ひばりをご覧にいれまする。

 

 

① 『口上・わたくしの名は二代目美空ひばり淡路守に、ござりまする』

 

『この度、安田純己は芸能界屈指の名跡、美空ひばりを二代目として相続いたす運びと相成りましてござりまする。芸能界にとりまして、大変大きな名跡でございます。この上は、己の命の限り、懸命に美空ひばりの伝道師として芸道に生きてまいりたいと思う所存でございます。そして初代に顔向けのできるような二代目となられまするよう、美空ひばりを生きていく覚悟でございます。まだまだ、未熟、不鍛錬ではございますが、皆様方におかれましては、ご指導ご鞭撻のほどをひとえに、そしてお見捨てなく、よろしくお願い申し上げまする次第でございます。二代目美空ひばりとして皆様方のご期待に応えられるよう、お家芸を後世にきちんと継承し、また芸能界がより一層発展しますよう、懸命に努力いたしますれば、何卒、いずれも様にも、末永く御贔屓お引き立てのほど隅から隅までずいっとひたすら希い申し上げ奉りまする。』

 

 

②『誕生ヒストリー・豊饒の海〜はじまりのはじまり〜』

 

「前書き〜告白とは〜」

 

安田純己の自伝的小説『豊饒の海〜はじまりのはじまり〜』である。少年は幼少期から美空ひばりの歌と三島由紀夫の小説がとりわけ好きで、現在の自分の自我を形成したといっても過言ではない。この小説では自分自身を「告白」するという形態をとっている。しかし「告白」というものは、まさにその「告白」という行為によって「本当の自分」というものを捏造する装置なのです。よってこのように作り出された内面=「仮面」が「告白」する小説として読んでもらえれば幸いです。そしてこの捏造こそがまさに安田純己にとっての自我の目覚めだったのです。

 

「海と夕焼」(起)

 

少年は風光明媚な海と夕焼が美しい淡路島で生まれ育った。〈夕焼〉は奇蹟待望を抱かせるキリスト教的世界観における「永遠」(有限性)を表わし、〈海〉は奇蹟的世界へ誘いつつもそれを拒むもので、物事には始めも終わりもないという縁起の考え方に基づく仏教的世界観における「久遠」(無限性)を表していた。そして、「奇蹟自体よりもさらにふしぎな不思議」を現出させるのも〈海〉であれば、「不思議」への思いを消し去ろうとするのも〈海〉というものであって、そこには仏教的世界観における輪廻転生の思想が響いていた。

 

「太陽と鉄」(承)

 

通常、人はこの世に生まれ落ちると観念的なものの延長線上に実体的なものを認識して獲得していくようになるものである。しかし少年にとっては不思議な事に幼少期から観念的なものと実体的なものというのはまったく別のものとして経験されてきた。事実、彼のまだ体験していない世界の現実と彼の内的世界との間には、対立も緊張も見られなかったので、強いて自分の外的世界の優位を信じる必要もなかったし、世界が自分中心に動いているという認識すらもなかったのである。そしてその事が少年を精神的な怠け者にする傾向がはじまっていた。もっと精神的に勤勉だったら、今ごろは立派なヒトラーになってしまっていた事であろう。ところが少年は人と接している内に「恋愛や人生とかの認識のうちに必ず入ってくる滑稽な夾雑物」を発見したのである。それ以来少年は、観念的なものと実体的なものとを対立構造として認識するようになり、「ひょっとすると自分もこの世に生きているのかもしれない」と思うようになった。ちょうどそんな時、少年は美空ひばりの魂との邂逅によって自我に目覚める事ができたのである。そこで少年は自身の「家屋」(自我)を取り巻く「果樹園」(肉体)を、観念的なもの〈太陽〉と実体的なもの〈鉄〉で耕してみる事にした。そうする事で少年は遅れながらもようやく、存在と行為の感覚を体得し、「肉体の言葉」(魂)を学んだ。

 

「花ざかりの森」(転)

 

少年は、追憶により遠く離れた祖先との心の邂逅を試みてみた。そして「先祖の経験」に思いを馳せ、追体験をして「自分の思い出」と一緒となり、自分の血のつながった祖先を含む、過去を生きた日本人と一体化していった。果ては、記紀万葉に描かれた太古の神々にまで同化していった。そうする事で自分の中にはさまざまな魂が入ってきた。そのなかでも少年の中には美空ひばりの魂が一気に流れ込んできたのである。そして少年はだんだんと自我に目覚め、美空ひばりを生きようと決意した。

 

「仮面の告白」(結)

 

少年は自分の母親のお腹の中にいた時の光景を今も鮮明に記憶している。そしてその時に美空ひばりから「私の分まで頑張って」といわれた時の事を思い出した。少年は輪廻転生によって「豊饒の海」に抱かれ、美空ひばりの生まれ変わりとしてこの世に生まれ落ちて来たのである。そして少年は「美空ひばりを生きねばならぬ」と思った。

 

「後書き」

 

観念的なもの優位な三島由紀夫はボディビルを通して肉体美という実体的なものを獲得して自身のアンバランスを整えた。しかし三島由紀夫は観念的なもので実体的なものを支配してしまい、割腹自決をしてしまったのである。それに対して実体的なもの優位な少年は観念的なものを知るプロセスで美空ひばりの魂と邂逅した。そこで魂(実体と観念を弁証法的に昇華した境地)を磨く事で自身のアンバランスを整える事ができた。そして少年は実体的なもので観念的なものをうまくコントロールする事でより一層実存に目覚め、美空ひばりの生まれ変わりとして生きていくという事に成功したのである。

 

 

③『屋号の由来・淡路青葉屋に、ござりまする』

 

二代目美空ひばり淡路守こと安田純己の出身が兵庫県の淡路島であり、初代美空ひばりが生前に住んでいたのが東京目黒青葉台(現在は美空ひばり記念館兼ひばりプロダクションが入居)であったのでそれにちなんだ屋号といたしました。

〈管理人運営の布施明のHP〉

管理人が運営しております布施明のホームページである「布施明讃~way-of-the-maestro~」です。こちらのサイトも管理人の力作ですので訪問していただけますと嬉しく思います。